-- ◆【第04章】 いわゆる『南京事件』と支那敗残兵処断◆ --

--【第58項】 戦後のBC級戦犯裁判を根拠にする珍論 【補足】--

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本項では、テーマからは少し外れるのですが、【事後法】について考えてみたいと思います。前項で触れた【空襲軍律】、及び【戦後のBC級戦犯裁判】は、共に【事後法】でした。そのため、双方とも【罪刑法定主義に反する】との批判があったのです。故に、【事後法】を踏まえた上で、【空襲軍律】【戦後のBC級戦犯裁判】の妥当性を再検証してみたいと思います。

まず、【空襲軍律】から見てみたいと思います。【第41項】でも簡単に触れているのですが、本軍律は、1942年4月18日に日本初の本土空襲となったドゥーリットル空襲を切っ掛けに制定されました。本軍律の施行日は1942年11月1日ですので、施行前に遡って、ドゥーリットル空襲航空機搭乗員に適用された事になります。



空襲の敵航空機搭乗員の処罰に関する軍律(昭和十七年十月十九日、防衛総司令部)

第一条
本軍律は帝国領土、 満州国又は我が作戦地域を空襲し東部、中部、西部、北部、朝鮮及台湾各軍の権内に入りたる敵航空機搭乗員に之を適用す

第二条
左に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
一、普通人民を威嚇又は殺傷することを目的として爆撃、射撃其の他の攻撃を加ふる行為
二、軍事的性質を有せざる私有財産を破壊毀損又は焼燬することを目的として爆撃、 射撃其の他の攻撃を加ふる行為
三、已むを得ざる事情ある場合の外軍事的目標物以外の目標に対し爆撃、 射撃其の他の攻撃を加ふる行為
四、前三号の外特に人道を無視したる暴虐非道なる行為、前項の行為を為す目的を以て帝国領土、満州国又は我が作戦地域に来襲し其の目的を遂げざる前第一条に掲ぐる各軍の権内に入りたる者は亦同じ

第三条
軍罰は死とす、 但し情状に依り無期又は十年以上の監禁を以て之に代ふることを得

第四条
死は銃殺す、監禁は別に定むる場所に拘置し定役服す

第五条
特別の事由ある時は軍罰の執行を免除す

第六条
監禁に就ては本軍律に定むるものの外刑法の懲役に関する規定を準用す

付則
本軍律は昭和十七年十一月一日より之を施行す
本軍律は施行前の行為に対しても之を適用す



【罪刑法定主義】の観点から見れば、一般的には、遡及効的な刑罰は戒めるべきと考えられるのですが、ドゥーリットル空襲やB29等による日本本土空襲は、【故意に民間人を攻撃目標】にしており、当時の国際法解釈においても、既に、明白に【慣習法違反】であると判断されていました。つまり、刑罰規定が明確にされていなかっただけで、【罪=どのような行為が犯罪とされか】の部分については、国際法上において既に解釈が成立していたのです。



『戦時国際法講義 第二巻』 信夫淳平博士(※国際法学者)

第二章 一九二三年の海牙空戦法規案 第三款 空下爆撃 第三項 空爆を適法とする軍事目標

一六〇一 凡そ敵を攻撃するに方り、敵国の非戦闘員に対しては直接加害を為すべからざることは交戦法則の根本原則となってある。然しながら、そは直接の加害のことである。直接の加害とは、非戦闘者を主たる又は重なる目的物として之に対し故意に攻撃を加ふるを云ふのである。これは人道上厳に戒むべきこと論を俟たない。故意に非戦闘者を爆撃するが如きことは、支那事変を通じ皇軍の会て行ひたる例なきが、時を略々同うせる西班牙の内乱戦に於ては、それが時に行はれたやうである。…

一六〇三 然しながら敵の戦闘員に対し適法の攻撃を加ふるに方り、避くべからざる付随的の結果として非戦闘者の危害を受くることは、人道主義の以て異議を挟み得る所ではない。之に関してはホールの左の所説は適切である。『非戦闘者が加害の免除を受くることの特権は重要なる制限の下に立つ。……その制限とは他なし、非戦闘者は直接の加害より保護せらるるけれども、国家の武装軍隊に対して行はるる陸海軍の軍事行動から間接に来る所の人体上の危害には、彼等も当然曝さるるといふことである。その軍事行動の方法たる、敢て相当に必要のものであるやは問題ではない。』(Hall, §128, p.471)

オッペンハイムは更に一層的確に左の如く論ずる。『敵国の常人は、その戦闘に参加するに非ざる限り、直接に攻撃を受け又は殺傷せられざるべきも、軍事行動に伴ふて間接に凡なる危害に曝さるることに於ては、軍隊所属の他の非戦闘員と異なる所ない。随って例へば都市にして砲撃を受け、住民が幾千となる殺され、又は兵と共に汽車に乗れる常人が地雷に触れて爆破せらるることあるも、之がため敵の常人の殺傷を禁ずる法則に何等違反するものではない。』(Oppenheim, U, §116, p.174)



【罪刑法定主義】(※コトバンク - 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』から引用)
どのような行為が犯罪とされ、いかなる刑罰が科せられるか、犯罪と刑罰の具体的内容が事前の立法によって規定されていなければならないという刑法上の原則。




【国際法】【条約と慣習法】から成り立っており、更に【平時国際法と戦時国際法に分けられる。】


【国際法】(※コトバンク - 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説』から引用)
:主として国家間の関係を規律する法のことで、国際私法と区別するために「国際公法」ともいう。具体的には管轄権など国の権利、義務を主たる内容とするが、国際関係の緊密化と人権保護要求の高まりのもとで国際法の規律範囲も拡大し、現在ではさまざまな個人の権利・義務も国際的な規律に服してきている。その法源には成立の態様の相違によって国家間の直接の合意を基礎とする条約と、国際的な実行を基本に認定された慣習国際法がある。条約は原則として直接当事国のみを拘束するのに対し、慣習国際法は国際社会全体を拘束する。実際の国際法規の形成は、規律内容および拘束力の有無を明確にできることから条約の形式によることが多い。



【国際法】(※コトバンク - 『デジタル大辞泉の解説』から引用)
国家間の合意に基づいて、国家間の関係を規律する法。条約と国際慣習法からなり、平時国際法と戦時国際法とに分けられる。国際公法。→国内法



この様なケースにおいては、下記見解が参考になるのではないでしょうか。即ち、【慣習法違反】として定着していたものに対して、【罰則規程を追加】しただけなので、本質的には【遡及効を認めているわけではない】という事です。この解釈には大いに理があると思います。また、慣習法違反者に対する刑罰は、当時から任意に存在していたわけですから、刑罰制度自体も既存していたと言えます。



『戦争犯罪と法』 多谷千香子著(※元旧ユーゴ戦犯法廷判事)

罪刑法定主義
ICTY(※注、旧ユーゴ国際刑事裁判所)に対するもう一つの批判、遡及的に1991年以降の犯罪をICTYが対象としている点、及び終身刑以下という大雑把な刑罰の規定の仕方をしている点が、罪刑法定主義に反するというものである。なるほど、ICTYは1993年に設置されたが、ICTY Statute は1991年から遡って適用されることになっている。しかし、ICTY Statute 2条〜5条は、何が戦争犯罪になるかを定めているが、国際人道法の中核とも言うべき重大な犯罪だけを取り上げており、個人の犯罪として処罰することが、1991年には誰の目から見ても疑いなく国際慣習法として定着していたものだけで、実質的に遡及効を認めているわけではない。ちなみに、2条は1949年のジュネーブ四条約の重大なる違反の罪、3条は戦争の法規及び慣習に違反する罪、4条はジェノサイドの罪、5条は人道に反する罪を、ICTYの管轄犯罪としている。…




【従来の国際慣習法】に依れば戦争法規違反者に対しては【部隊指揮官の処罰を受けるとの規定】


第一 軍律制定の適否
2. 水垣進講師(※国際法学者)


昭和十七年八月十三日支那派遣軍々律、昭和十七年十月十九日在日本防衛総司令部軍律並に之が実施規定の制定は、其れ自体は形式的には、国際法違反に非ず。

従来の国際慣習法に依れば、戦斗法規其の他の条約を犯したる敵国の人員は、其の捕らへられたる部隊に於て該指揮官の処罰を受ける事が規定せられあり。此の際該法規は間諜の如き其の隠密性の為に犯罪事実の明確を欠く場合、特に裁判機関を通じて之が処罰に当る可き旨を規定しありて、其の他の行為に就ては、特に規定する所なし。

然しながら敵国人の処罰と雖も其の事実審査を厳重にし、過誤なからしめんとする主旨に於て、特に軍律審判規定を設ける事は、戦時重罪犯の処罰が許容されおる限り、違法ならざるは当然、特に慎重なる所為として高く評価せらる可きである。

(※『敵航空機搭乗員処罰に関する軍律に対する国際法的検討 昭和二十年十二月』から引用)



元々、【慣習法】自体が【不文律】なのですから、刑罰規定が明文化されていないのは、言わば当たり前で、国内法解釈的な罪刑法定主義を、国際法にも援用するのは、少し無理がある様に思えます。故に、【空襲軍律】については、【罪刑法定主義に反する】との批判は当てはまらないと思われます。



『国民のための戦争と平和の法』 色摩力夫著(※戦時国際法の専門家)

一、国際法は、本質的に慣習法です。
「慣習法」というのは、必ずしも慣習が法となったものという意味ではありません。慣習法というのは、その法の本質が慣習であるだけでなくて、その「形式」も慣習そのものという意味なのです。つまり、必ずしも法典化されていない、成文法として紙の上に文章として書かれているとは限らない、いわば不文律ということです。



『戦争犯罪とは何か』 藤田久一著(※国際法学者)

刑法の不遡及原則は犯罪の決定に対する障害とはなりえない。ドイツ皇帝の命令により犯された犯罪とは、国際慣習にて、および明確な条文とくにそのいくつかはハーグ諸条約において定められている。ハーグ諸条約中には違反に対する刑罰は定められていないが、この沈黙は、それらが制裁されないことを意味するものではない。刑罰について「法律なければ犯罪なし」ないし「罪刑法定主義」は、普通法犯罪に適用される国内刑法にとってのみ完全に有効であるにすぎない。国内法と国際法は異なった発展段階にある。国際刑法はなお初歩的発展段階にあり、そこでは法は行為に対する対応によって形成され、また刑罰は裁判官の良心にのみ依拠し、また裁判官は犯罪人を復讐から救済するために存在する。そして、裁判所の手続きは裁判所自身が決定する。ここで法の不遡及を理由とする異議は妥当しない。不遡及原則は、手続法にも司法組織法にも適用されないからである。



しかしながら、ドゥーリットル空襲やB29等米軍航空機搭乗員を処罰するには、もう一つハードルがありました。それは、当時の国際法解釈において幅広く支持されていた【命令を遂行しただけの下級軍人には罪は無い】という解釈です。つまり、処罰対象となるべきは、【命令した上官等のみ】とした解釈です。ドゥーリットル空襲航空機搭乗員については、搭乗員個人の判断により、故意に民間人が攻撃され、殺害されていましたので、上記空襲軍律を適用する事に何も問題は無かったと言えますが、問題なのは、日本本土空襲を行ったB29等の航空機搭乗員の方です。彼等は、命令により日本本土空襲を行っただけで、搭乗員個人の判断により、民間施設を爆撃したわけではなかったと思われます。この様な場合、日本側は、民間施設への爆撃を命令した米軍側上官等を捕えて裁判にかける事は不可能です。故に、戦時国際法では、この様なケースを想定した【復仇】という制度が認められていました。



『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者) 1931年

第一章 戦争及戦時法規に関する概説 第九節 戦時重罪

…現時に於て、交戦法規違反の行為は、交戦国政府の命令に依りて行はれたる場合に於ては、命令せる交戦国政府の行為に関して、該交戦国が国際法上の責任を負ふべきも、政府の命令に依りて是の如き行為を行へる軍人は、戦時重罪を以て罰せらるること無かるべきの説が廣く行はるるのである。下級軍人が指揮官の命令に依りて交戦法規違反の行為を行へるときに於ても、之を命令したる指揮官を捕ふるときは、戦時重罪として処罰するを得るも、命令に従ひて行へる下級軍人は、戦時重罪人として処罰し得ざることが認められる(イギリス陸軍省「陸戦」第四百四十三節、アメリカ陸軍省「陸戦規則」第三百六十六節参照)。世界大戦(※注、第一次世界大戦)の際、商船の無警告撃沈の如き交戦法規違反の行為を行へるドイツ潜水艦員も、上官の命に依り行へること明白なるを以て、戦時重罪人として処罰を受くることは無かったのである。

但交戦国政府の命令に依りて行はれた場合に於ても、対手交戦国が復仇行為に出づることあるべきである。又自己の発意を以て自ら交戦法規違反の行為を行へる軍人又は自己の発意を以て之を部下の軍人に命じたる指揮官は、敵に捕へらるれば戦時重罪人として処罰さるるを免がれない。命令を受けて行へる軍人を処罰するべからずとするの思想は、軍人が戦場に於て絶対に其上官の命令に服従すべきことの諸国に於て普通の認めらるることに基づくのである。然るに此の普通に行はるる思想に反対するの説を存せざるに非ずして、千九百二十二年のワシントン会議の際議定されたる潜水艦及毒瓦斯に関する五国条約に於ては、商船に対す攻撃並に其の拿捕及破壊に関する現存法規を侵犯する者は、其の上官の命令の下に在ると否とを問はず、戦争法規を侵犯したるものと認め、海賊行為に準じ審理処罰せらるべきものと為すに至ったのである。但し此条約はフランスの批准を経ざるを以て、実施力を有せざるものである。



【復仇】とは、慣習法違反等、交戦法規に違反した敵国兵士に対して、命令を受けた立場だったとしても、今後、【敵側に違反行為の継続を戒めるため】に、あえて【命令を受けた兵士の処罰を認める】という制度です。戦時国際法上において認められているこの制度を使えば、B29等航空機搭乗員の処罰は可能であり、故に、【空襲軍律】については、国際法上何も問題は無かったと結論付けられると思います。無論、【復仇】は、本HPによる後付け的な解釈で、当時の日本側は、【復仇】の制度とは関係なく、B29等航空機搭乗員を処罰したものと思われますが、改めて、国際法の観点から再検証してみると、【空襲軍律】に問題は無かったと言えるという事です。前項でも述べましたが、戦後米軍による【空襲軍律】に対する裁判でも、検察側訴追にあった【"違法""無法""虚偽"かつ"無効なる手続き"という言葉を削除】とありますので、米軍側も、【空襲軍律】については妥当であったと認めています。



『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者) 1931年

第一章 戦争及戦時法規に関する概説 第八節 戦時復仇(報償)又は報復(返報)

…戦時に於ける復仇(報償)又は報復(返報)とは、敵国政府若くは敵軍の交戦法規違反の行為の行はれ、又は敵国私人の行為にして、戦争の目的上有害なるの故を以て、禁遏を行ふことを認めらるるもの(例へば占領地人民の敵対行為)の行はるるに応じて、已むを得ざる場合に於て、敵国政府、敵軍又は敵人に対して加ふる所の悪報にして、敵をして将来に於て交戦法規を遵守せしめ、若くは禁遏し得べき私人の行為を行はざらしむるの目的を以て、又は敵の既に行ひたる交戦法規違反の行為若くは禁遏を行ひ得べき私人の行為につき、結果の復旧を求め、若くは是等の行為を行へる者を処罰せしむるの目的を以て、行ふものである。簡単の語を以て言へば、敵の不正行為の将来に於て行はれざるを求め、又は斯くの如き行為の救済を求むる為めに行ふものである。戦時復仇又は報復の悪報的手段は、普通の場合に於ては交戦法規違反の行為となるべき種類の行為である。唯戦時国際法が戦時復仇又は報復の制度を認むる為めに、法規違反の責任を負はざるを得るのである。



『現代戦争法規論』 足立純夫著(※国際法学者)

第3節 戦闘 - 総則 30.復仇

…復仇(reprisals)とは、一方の交戦者が組織的に戦争法規に違反する行為を行ったことに対し、他方の交戦者が違反を行った交戦者に対し戦争法規を将来遵守させる目的をもって、通常の場合には不法行為となる手段を用いて相手方の人又は財産に対して執る報復的措置をいい、被害者たる交戦者にとって一種の戦争法規違反に対する適法な救済措置である。復仇は往々極めて重大な結果をもたらすものであるから、この措置に訴えるかどうかは次の諸条件に照らしても最も慎重に判断しなければならない。
(1)被害を蒙った交戦者はまず復仇以外のあらゆる手段を尽すべきものとし、それらによってもなお目的を達成できない場合の最後の手段とする必要があること。
(2)復仇を行うとの決定は交戦者の政府又はその委任を受けた軍の高級司令部が違反行為の容疑を精細に調査し、その事実を確認した後に行うべきものであること。
(3)違反行為を行った相手交戦者には、違反行為を停止しない場合には復仇の措置を執る旨警告を発すること。
(4)やむを得ず復仇に訴える場合にも、復仇の手段及び範囲は相手方の違反行為を中止させるのに必要な程度を越えてはならないこと。



「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 岩川隆著(※ノンフィクション作家)

敵機搭乗員処刑事件
…中部軍律会議事件というのは、大阪(昭和二十年三月十三日夜)、神戸(三月十六日夜)を空襲にやってきて、撃墜され落下傘で逃れた二名の生存者にたいし、両名の行為は無差別爆撃であり国際法規に違反せるものとして、軍律会議の審判の結果、死刑に処したという事件である。軍律会議処刑事件というのは、日本軍の法務官が参加しておこなった日本の軍裁判そのものを、今度は米軍の軍裁判が審理するという側面を持っている。裁判の裁判とでもいおうか。

この中部軍の事件でも、米軍側は、「日本軍事裁判所の違法、無法、虚偽、かつ無効な訴訟手続きにより両名を不法に殺害した」として審理し、第一五方面軍司令官・内山英太郎元中将にたいして重労働三十年、太田原清美元法務部長にたいして絞首刑(のち終身刑に減刑)、国武三千雄元参謀長に重労働三年を言い渡している。ただし判決では、起訴事実にある"違法""無法""虚偽"かつ"無効なる手続き"という言葉を削除し、これにかかわる容疑は無罪ということになった。米軍側も日本空襲における無差別爆撃を認めたのである。



「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 岩川隆著(※ノンフィクション作家)

「戦争の継続だ」
…軍律会議事件の中でよく知られているのは名将・岡田資元中将(東海軍管区司令官)を筆頭の被告とした第一三方面軍についての裁判であろう。被告の数は岡田を含めて二十名。岡田は、「この裁判は戦争の継続だ」と喝破して、「責任は私一人に集中させる。規律を乱すな」と伝えて"法戦"を戦い抜き、所期の目的どおり絞首刑は岡田元軍司令官のみという悲壮な"勝利"をかち得ている。中部軍軍律会議事件では、同じく、「日本軍事裁判所の違法、無法、虚偽、かつ無効な訴訟手続きにより二名の米軍機搭乗員俘虜を殺害した」として審理され、元軍司令官・内山英太郎中将にたいして重労働三十年、太田原清美元法務部長にたいして絞首刑(のちに終身刑に減刑)、国武三千雄元参謀長に重労働三年が言い渡されている。ただし、興味あることに、判決では上記の起訴事実にある"違法""無法""虚偽かつ無効なる手続き"という語は削除され、これにかかわる容疑は無いということになっていた。



では、【戦後のBC級戦犯裁判】の方は、どうだったのでしょうか。実は、これについては、【非常に問題があった】と言わざるを得ないのです。下記をご覧下さい。連合軍側は、その【国内法】において、当時、幅広く支持されていた国際法の解釈通り、【命令を遂行しただけの下級軍人には罪は無い】と規程していたのですが、【戦後のBC級戦犯裁判】の都合に合わせるために、その【国内法を書き換え】て、命令を遂行した軍人も処罰できるようにしていたのです。【戦後のBC級戦犯裁判】は、まさに【何でも有りの裁判】だったのです。



「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 岩川隆著(※ノンフィクション作家)

命令は絶対ならず
BC級裁判は日本のタテ社会が裁かれたという一面を持っているが、ヨコ社会(個人主義・個人尊重)といわれる裁判国の側も、この軍隊における「命令」と「責任」については明確な規範を持っていたわけではなかった。調べてみると、いろいろと迷いの歴史がみられる。たとえばイギリス陸軍の「軍法提要」(一九一二年)のうち第十四章「陸戦に関する法規および慣例」(第四四三項)をみると、「軍隊の所属員が政府または指揮官の命令により一般公認の戦闘法規に違反したときは戦争犯罪人ではない。従って敵はこれ(受命者)を処罰することはできない。当の命令責任者である将校または指揮官が敵の俘虜になったときは、敵はこれを処罰することができる」とある。命令によっておこなった下級の実行者は戦争犯罪人ではない、責任はその命令をくだした将校あるいは指揮官にあり、彼が戦争犯罪人だと言っているのである。一九一二年といえばいまからおよそ八十年以上前につくられた法規である。同じころ(一九一四年)のアメリカ陸軍の「陸戦法規」(第三四七項)をみても、「軍隊所属の個人たちは、その犯行が政府または指揮官の命令または許可によっておこなわれたものである場合には、それらの犯行のゆえに罰せられることはない。指揮官がそのような行為を命じたものであるか、またはその部隊が指揮官の授権によりそのような行為を実行したものであれば、交戦相手国に逮捕された場合、処罰され得る」としている。命令をくだした指揮官にこそ責任があるという素朴な考え方である。この時代にBC級裁判が開かれていたとすれば、多数の末端の兵が責任を負わされ、刑を言い渡されるということもなかったろう。しかし前記の米英の「陸戦法規」は第一次大戦の勃発時に決定されたものであり、その後の戦争では、状況も複雑となり、国家と個人、国家秩序と個人の責任についての思想や考え方も変わってきた。これも第五章で述べたことだが、第二次大戦後には、裁判国の側でこのイギリス陸軍の第四四三項とアメリカ陸軍の第三四七項に疑問が呈せられる。

極東国際軍事裁判を含めて、戦後の日本人・日本軍にたいしておこなわれた戦争裁判がニュルンベルグ裁判の思想と体系に準じておこなわれたことはよく知られているが、BC級裁判もまたそうであった。前記の著書のうち、第九章「上官の命令」の項でグリュック教授はこう言っている。…「…従った命令が違法であった場合は、(受命者も)民法・刑法の双方にのっとって罪に服さなければならない。このアメリカ陸戦法規の第三四七項、ならびにイギリス陸戦法規の第四四三項にのっとれば、戦争の法規慣例に違反した通例の犯罪人はすべて"弁護すべき法律上の根拠"を有する可能性が存するわけで、事実上、米英国民および米英の利益をはなはだしく毀損することになるであろう。このような重大性に思いいたると、この法規については改変すべきか否か、調査することが妥当であると思う」という。

…このことはのちに東京でおこなわれた極東国際軍事裁判でも裁判所条例の第六条に「被告人の責任」として明記され、さらに各国が定めたBC級裁判の裁判規程にも準用された。たとえばアメリカのBC級裁判における「米国戦争犯罪被告人裁判規程」の中でも、「被告人の公務上の地位は、その責任を解除するものではなく、また、刑の減軽のため考慮されることもない。なお、被告人の上司または政府の命令による行為は、抗弁とはならないが、委員会において正義が要求するものと認める場合は、刑の減軽のために考慮することができる」としている。要するに、命令によって実行せざるを得なかった者も、情状は考慮するが、責任を追及すると言っているのである。オランダは正直だったといえるだろうか。その「蘭印戦争犯罪人裁判規程」の中で、「蘭印刑法典第五十一条"原則として、部下は、権限を有する当局が発した公の命令を遂行するにあたっておこなった犯罪については、処罰されない"という規定の効力を、戦争犯罪の分野においては停止する」ということにした。通常なら公の命令を遂行した下級者の行為を処罰することはしないのだが、このたびの戦争裁判(BC級裁判)ではその"命令絶対"の規定をやめにする、という。イギリスではさきの陸軍「軍法提要」第四四三項をいちはやくつぎのように書きあらためている。「指揮官の命令に従った結果として戦闘規程を犯した、という事実は、当の問題の行為から戦争犯罪としての性格を拭い去るものではない。また、そのような事実は、原則として、行為者を被害交戦国の処罰権から免除せしめるものではない。軍の所属員は適法な命令にだけ服従すべき義務があり、その命令に服することによって不動の戦闘規程を犯すと同時に一般の人道観をも刺激するがごとき行為を実行したものであるときは、その責任を免れ得ないというのが大原則である」

下級者は適法な命令にだけ服従する義務があり、戦争犯罪と認められる行為を犯したときは命令されたものであっても責任あるいは罪を逃れることはできない、という。こうなると、戦闘中にも不法と思われる命令には従わなくていい、従わないほうがいいのだということになるが、実際としても不可能だろう。イギリスにもアメリカにも、いっぽうで、上官の命令にそむいたときの抗命罪というのも存在するのである。…まさに勝てば官軍、法は後でつくることができるのである。



先に紹介した【復仇】は、この【戦後のBC級戦犯裁判】に適用する事はできません。何故なら、【復仇】とは、【現に繰り返し行われている交戦法規違反行為】に対して適用される制度、即ち、事変・戦争の最中に繰り返し行われている交戦法規違反行為に対して適用される制度だからです。上記【戦後のBC級戦犯裁判】時には、日本は既に降伏しており、交戦法規違反行為が繰り返される様な状況は存在しません。故に、【復仇】の制度を、【戦後のBC級戦犯裁判】に当てはめるのは無理があるのです。



『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者) 1931年

第一章 戦争及戦時法規に関する概説 第八節 戦時復仇(報償)又は報復(返報)

戦時に於ける復仇(報償)又は報復(返報)とは、敵国政府若くは敵軍の交戦法規違反の行為の行はれ、又は敵国私人の行為にして、戦争の目的上有害なるの故を以て、禁遏を行ふことを認めらるるもの(例へば占領地人民の敵対行為)の行はるるに応じて、已むを得ざる場合に於て、敵国政府、敵軍又は敵人に対して加ふる所の悪報にして、敵をして将来に於て交戦法規を遵守せしめ、若くは禁遏し得べき私人の行為を行はざらしむるの目的を以て、又は敵の既に行ひたる交戦法規違反の行為若くは禁遏を行ひ得べき私人の行為につき、結果の復旧を求め、若くは是等の行為を行へる者を処罰せしむるの目的を以て、行ふものである。簡単の語を以て言へば、敵の不正行為の将来に於て行はれざるを求め、又は斯くの如き行為の救済を求むる為めに行ふものである。戦時復仇又は報復の悪報的手段は、普通の場合に於ては交戦法規違反の行為となるべき種類の行為である。唯戦時国際法が戦時復仇又は報復の制度を認むる為めに、法規違反の責任を負はざるを得るのである。



『現代戦争法規論』 足立純夫著(※国際法学者)

第3節 戦闘 - 総則 30.復仇

…復仇(reprisals)とは、一方の交戦者が組織的に戦争法規に違反する行為を行ったことに対し、他方の交戦者が違反を行った交戦者に対し戦争法規を将来遵守させる目的をもって、通常の場合には不法行為となる手段を用いて相手方の人又は財産に対して執る報復的措置をいい、被害者たる交戦者にとって一種の戦争法規違反に対する適法な救済措置である。復仇は往々極めて重大な結果をもたらすものであるから、この措置に訴えるかどうかは次の諸条件に照らしても最も慎重に判断しなければならない。
(1)被害を蒙った交戦者はまず復仇以外のあらゆる手段を尽すべきものとし、それらによってもなお目的を達成できない場合の最後の手段とする必要があること。
(2)復仇を行うとの決定は交戦者の政府又はその委任を受けた軍の高級司令部が違反行為の容疑を精細に調査し、その事実を確認した後に行うべきものであること。
(3)違反行為を行った相手交戦者には、違反行為を停止しない場合には復仇の措置を執る旨警告を発すること。
(4)やむを得ず復仇に訴える場合にも、復仇の手段及び範囲は相手方の違反行為を中止させるのに必要な程度を越えてはならないこと。



戦後の連合軍は、日本側に対して絶大な権限を持っていました。故に、命令を受けた旧日本軍関係者に交戦法規違反行為が認められるとするならば、命令者を確認して、改めて命令者への逮捕状を請求する等の対応は簡単にできたはずです。しかしながら、【戦後のBC級戦犯裁判】においては、そのほとんどの裁判において、命令者の方は訴追せずに、命令を受けた軍人のみが処罰される事例が頻発してしまいました。当時、慣習法として確立されていなかった解釈(※命令を遂行しただけの下級軍人を処罰するという解釈)を一方的に適用し、旧日本軍関係者(※特に命令を受けた側)を処罰していたのです。【罪刑法定主義】の観点から見れば、国際法に国内法解釈的な罪刑法主義を援用するのは無理があるとしても、【慣習法にすら無かった解釈】に対して、【事後法的に罰則を制定】したというのは、あまりにも【法を濫用】し過ぎていると言えるでしょう。【戦後のBC級戦犯裁判】は、法が転じて無法と化したと言いますか、【勝てば官軍、法は後でつくることができる】事を証明してしまった様な裁判だったのです。



「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 岩川隆著(※ノンフィクション作家)

サンダンカン事件
ほかにはサンダンカン事件というのもとりあげられた。これは昭和二十年五月二十七日、北ボルネオのサンダンカン港の沖合に連合軍の上陸用舟艇が来襲し、軍艦からの砲撃と飛行機による空爆によっていよいよ上陸されるというとき、日本軍としては腹背に攻撃を受けてはかなわぬので、かねて調査ずみの"敵性不良分子(スパイ)"二十七名をいっせいに検挙して処刑したという事件である。この地を守備していたのは大塚貢大佐麾下の警備隊であったが、裁判の被告となったのはスパイたちの取り調べと処分に直接たずさわった憲兵分隊の中田新一憲兵大尉と小坂茂夫准尉であった。"敵性不良分子"については軍の作戦命令として、非常の場合は正式の審判をおこなうことなく書面審理によって処置せよ、という通達がすでに四月ごろに出されており、同時に、軍律裁判は現地の州法院判事がおこなうことができるということも示達が発せられていた。憲兵分隊の中田新一憲兵大尉はこのルールを一応守った。

スパイ処刑の際には州法院判事に連絡し、書面審理による軍律裁判を経て、全員死刑という判決も得ている。処刑も憲兵分隊の独断でおこなったのではなく、当時の指揮系統によって大塚大佐の命を受けて実行に踏みきったのである。しかし戦後の裁判となると英軍側は許さなかった。ボルネオ第三七軍憲兵隊長も出廷して、"日本軍における上官命令の性質""略式軍律裁判の合法性"について述べたが受けつけない。地元のサンダカン警察署長も判事による略式軍律裁判の手続きと経過を証言したが、とりあげなかった。

中田新一大尉は昭和二十二年一月二十五日に絞首刑の判決(刑執行は四月二十五日)を受けた。小坂茂夫准尉は禁固二十年の刑であった。ここでも"尉官受難"の結果となった。スパイ処分にからむこの種の事件は各地のBC級裁判にきまってとりあげられているが、とりわけ英軍裁判の場合は多い。現地での裁判であり、戦争中に自分たちにくみして戦ってくれた"同志"たちのことを英軍としてはなおざりにすることはできない。むしろ大いにたたえなければならぬし、植民地政策という面からみてもその姿勢は必要である。日本軍側がいかに戦闘法規を守って処刑していようとも、そんなことは知ったことではなかった。



「孤島の土となるとも BC級戦犯裁判」 岩川隆著(※ノンフィクション作家)

命令は絶対ならず
…これも第五章で述べたことだが、第二次大戦後には、裁判国の側でこのイギリス陸軍の第四四三項とアメリカ陸軍の第三四七項に疑問が呈せられる。

極東国際軍事裁判を含めて、戦後の日本人・日本軍にたいしておこなわれた戦争裁判がニュルンベルグ裁判の思想と体系に準じておこなわれたことはよく知られているが、BC級裁判もまたそうであった。前記の著書のうち、第九章「上官の命令」の項でグリュック教授はこう言っている。…「…従った命令が違法であった場合は、(受命者も)民法・刑法の双方にのっとって罪に服さなければならない。このアメリカ陸戦法規の第三四七項、ならびにイギリス陸戦法規の第四四三項にのっとれば、戦争の法規慣例に違反した通例の犯罪人はすべて"弁護すべき法律上の根拠"を有する可能性が存するわけで、事実上、米英国民および米英の利益をはなはだしく毀損することになるであろう。このような重大性に思いいたると、この法規については改変すべきか否か、調査することが妥当であると思う」という。

…下級者は適法な命令にだけ服従する義務があり、戦争犯罪と認められる行為を犯したときは命令されたものであっても責任あるいは罪を逃れることはできない、という。こうなると、戦闘中にも不法と思われる命令には従わなくていい、従わないほうがいいのだということになるが、実際としても不可能だろう。イギリスにもアメリカにも、いっぽうで、上官の命令にそむいたときの抗命罪というのも存在するのである。…まさに勝てば官軍、法は後でつくることができるのである。



また、【第02項】でも触れていますが、A級戦犯裁判の方はもっと酷くて、中支那方面軍総司令官松井石根大将他に適用された【訴因55(=コマンド責任)】については、【適用すべき事後法すら無かった】という有様でした。同じく、マニラ裁判においてコマンド責任を追及された、いわゆる【山下裁判】についても、【知り得べきであったのに怠った】と一方的に決め付けられて判決が下されており、後に多くの批判を招く事になりました。連合軍による戦犯裁判は、【とてもではないが、まともな裁判だったとは言えない】ものばかりだったのです。



『戦争犯罪と法』 多谷千香子著(※元旧ユーゴ戦犯法廷判事)

第4章 戦犯として処罰されるのは誰か 第2節 コマンド責任

(1)コマンド責任とは何か
コマンド責任とは、具体的状況を前提にして、部下の犯罪を事前に予防し又は事後的に部下を処罰できたのに、上官が権限内の禁圧行為を充分にとらなかった場合、上官に課せられる刑事責任である。

それは、通常の個人や組織の中の同僚であれば許されても、組織の上に立つ者であるがゆえに許されず、犯罪とされるため、コマンド(指揮官、司令官)の責任という意味で、コマンド責任又は上官責任と呼ばれる。…

(2)コマンド責任の構成要件
コマンド責任の要件は、以下の三つである。

@犯罪の実行犯と被告人の間に、部下と上官の関係が存在すること。
A部下が犯罪を行おうとしていること又は行ったことを、上官が、実際に知っていたこと又は知り得べきであったこと。
B具体的状況下で、上官が、事前に権限内のあらゆる防止措置をとらず、又は、事後に知ったとき、部下である犯人の処罰をしなかったこと。

コマンド責任は、もともと軍隊の上下関係を念頭におき、軍隊の上官が期待される行為を行わず、見て見ぬ振りをする不作為の責任を追及しようとしたものである。

(3)コマンド責任の歴史的発展
コマンド責任の起源は、1977年に作られたジュネーブ条約追加議定書Tの86条にある。同条の説明を後に回し、まず、不作為が問題にされた歴史をたどると、以下のとおりである。上官の不作為について刑事責任を問う考え方は、第一次世界大戦後から存在し、目新しいものではない。つまり、第一次世界大戦後に設けられた「戦犯の責任及び処罰に関する委員会」の報告によれば、戦争の法規及び慣習に違反する行為を命令した者のほか、権限がありながら予防措置をとらず又は違反者を処罰しなかった者の訴追を考えていた。しかし、第1章第1節で前述したとおり、このような考え方は、当時は実行に移されなかった。

第二次大戦後、ニュルンベルグ裁判や東京裁判で上官の不作為が問題にされ、刑事責任が追及された。ニュルンベルグ裁判及び東京裁判では、コマンド責任を問うに当たって、以下の規定が引用された。その規定とは、両条約とも同じで、以下のとおりである。「共同の目的の形成若しくは遂行に参加した指導者、組織を作った者、教唆者及び幇助者、又は上記犯罪を実行する共謀をした者は、実行犯が誰であっても、共同目的の遂行のために犯されたすべての犯罪について責任を負う」。しかし、同規定は、すでに述べたJCE(※注、「犯罪集団」の事)メンバーが、組織の一員を通じて犯罪を犯した場合の規定と解することは可能であるが、不作為一般についての規定でもなければ、上官の不作為責任についての規定でもない。ニュルンベルグ条例及び東京条例は、不作為犯には言及しておらず、作為だけを問題にしていたにすぎない。結局、ニュルンベルグ裁判及び東京裁判で追及されたコマンド責任は、不作為に対しても刑事的責任を追及できるという、各国刑事法で認められた一般的な原則を最後のよりどころとしたもので、未だ国際慣習法として確立していない原則を適用したのである。

…第二次大戦後、国際法の諸原則として定式化されたニュルンベルグ原則も、コマンド責任には言及していない。また、1949年ジュネーヴ四条約の重大な違反も、不作為を問題にしていない。つまり、1949年ジュネーヴ四条約の重大な違反のうち、捕虜の取り扱いに関する条約(ジュネーヴ条約V)の130条、及び戦時における民間人の保護に関する条約(ジュネーヴ条約W)の147条は、それぞれ、「公正で正式な裁判を奪うこと」を重大な違反の一つに挙げている。それは、作為によるよりも、不作為、つまり、公正で正式な裁判を行わないことによって犯されるのがむしろ普通であるのに、「公正で正式な裁判を奪うこと」を含めて重大な違反について、刑事責任を追及するための世界管轄を定めているジュネーヴ条約Vの129条及びジュネーヴ条約Wの146条は、自ら手を下して犯罪を犯し、又は命令した場合だけを想定していて、不作為を問題にしていないのである。このように、第二次世界大戦当時の国際慣習法は、指揮・命令した者だけを問題にし、不作為犯に責任を負わせるまでには至っていなかった。

ところで、国家が戦争を遂行する中で犯される犯罪は、実際に犯罪を実行する者が末端の兵士であるとしても、組織の問題であって、組織の上層部の責任が問われるのは当然である。しかし、これが認められるには、時代が下がるのを待たなければならなかった。つまり、国際条約として初めて、不作為による戦争犯罪に刑事処分を科す旨を定めたのは、「戦争犯罪及び人道に反する罪についての時効不適用に関する1968年の条約」である。同条約2条は、戦争犯罪(最広義)が犯された場合、犯罪を主犯又は従犯として犯した犯人のほか、犯罪を見逃した(=不作為)国家の代表者にも、条約上の規定がすべて適用される旨、定めている。これを契機に、コマンド責任の考えた方は、徐々に国際法として発展し、次第に国際慣習法として認められるようになった。1977年のジュネーヴ条約追加議定書Tの86条は、このようにして国際慣習法として確立するようになったコマンド責任を反映したものであり、異議なく採択された。



『戦争犯罪と法』 多谷千香子著(※元旧ユーゴ戦犯法廷判事)

第1章 20世紀の戦争と国際刑事裁判 第3節 第二次世界大戦後の戦犯裁判

…さらに、とくに東京裁判では、戦場が太平洋を囲む広域にまたがり、指揮命令を跡付けることが困難なため、部下の戦争犯罪を見逃した上官の不作為責任(コマンド責任)が多用された。コマンド責任も人道に反する罪と同様に、第一次世界大戦後に設けられた「戦犯に責任及び処罰に関する委員会」で議論されたことはあるものの、認められなかった。

当時は、コマンド責任は国際慣習法として成立しておらず、それが成立するにはジュネーブ条約追加議定書の採択を待たなければならなかった。しかも、東京条例そのものにも、コマンド責任は明記されておらず、適用すべき事後法すらなかったとも言えるのである。

それにもかかわらず、不作為責任は、各国刑法に共通して認められる概念だとして東京裁判で適用された。コマンド責任は、訴因55として起訴されたが、これを免れたのは、白鳥敏夫と大川周明の2人だけだった。



『戦争犯罪と法』 多谷千香子著(※元旧ユーゴ戦犯法廷判事)

第4章 戦犯として処罰されるのは誰か 第2節 コマンド責任

(1)第二次世界大戦後の軍事法廷で山下奉文大将が問われたコマンド責任
山下奉文大将は、1944年10月9日から1945年9月3日の約1年にわたって、マニラ及びフィリピン群島で、日本兵が組織的に、フィリピンの一般市民に対して、殺人・拷問・略奪・破壊などを犯し、とくにベイ・ビュー・ホテルにおいて、婦人に対して強姦などの残虐行為を働いたとされる件につき、部下の残虐行為を防止しなかったとして、コマンド責任を問われた。

アジア・太平洋アメリカ軍事委員会(the United States Military Commission in the Asia-Pacific)で言い渡された判決は、「犯罪が、時間的にも場所的にも、大規模かつ広範に犯されたことから推測すると、被告人によって暗黙の了解が与えられたか、秘密裏に命令された」と、あたかも不作為ではなく作為(暗黙の了解又は秘密裏の命令)があったような認定をする一方、同じ理由で「被告人は知っていたに違いない」と、知りながら何も対策をとらなかった不作為を問題にしているような認定をし、さらに、「殺人・強姦・共謀な復讐行為が、広範に犯されているとき、上官が何も事実を確定しようとせず、これを防止するための有効な手段をとらなければ、犯罪の性質と具体的状況により、彼の部隊が犯した犯罪について刑事責任を負う」と知り得べきであったのに、情報収集を怠り、したがって犯罪行為を防止するための措置もとらなかった不作為を問題にしているような認定をしている。このような事実認定は、後に、山下事件についての多くの批判を招くことになった。



第十章 判定 松井石根

…かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をももっていた。この義務の履行を怠ったことについて、かれは犯罪的責任があると認めなければならない。本裁判所は、被告松井を訴因第五十五について有罪、訴因第一、第二十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十五、第三十六及び第五十四について無罪と判定する。


裁判長
極東国際軍事裁判所は、本件の起訴状について有罪の判定を受けた被告に対して、裁判所条例第十五条チ号に従って、ここに刑を宣告する。…

被告 松井石根
被告が有罪の判定を受けた起訴状中の訴因に基いて、極東国際軍事裁判所は、被告を絞首刑に処する。



第十章 判定 廣田弘毅

…何百という殺人、婦人に対する暴行、その他の残虐行為が、毎日行われていたのに、右の保証が実行されていなかったことを知っていた。しかも、かれはその保証にたよるだけで満足していた。かれの不作為は、犯罪的な過失に達するものであった。本裁判所は、訴因第一、第二十七及び第五十五について、廣田を有罪と判定する。訴因第二十九、第三十一、第三十二、第三十三、第三十五及び第五十四については、かれは無罪である。


裁判長
極東国際軍事裁判所は、本件の起訴状について有罪の判定を受けた被告に対して、裁判所条例第十五条チ号に従って、ここに刑を宣告する。…

被告 廣田弘毅
被告が有罪の判定を受けた起訴状中の訴因に基いて、極東国際軍事裁判所は、被告を絞首刑に処する。



にもかかわらず、この様な【戦後のBC級戦犯裁判】すら、日本を非難する根拠にしてしまっている肯定派には、ただただ呆れるばかりです。

以下を再掲します。名著のタイトルは、『故郷の土となるとも』ではなく、『孤島の土となるとも』です。



馬鹿の言い分その@


馬鹿の言い分そのA


『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』


次項では、話を元に戻して、戦後の【BC級戦犯裁判の実態】を再検証したいと思います。




--【第58項】 戦後のBC級戦犯裁判を根拠にする珍論 【補足】--

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