本章【第22~33項】では、いわゆる【南京事件(※南京大虐殺、南京虐殺)】における【非戦闘員(※南京の不幸な市民)の犠牲者数(※被害者数)】について再検証しています。
この【非戦闘員の犠牲者数】については、【南京大虐殺】なるものが完全否定されている現在、何万人もの非戦闘員が殺害されたと認識している人は特定の奇人を除いて皆無の状況です。しかしながら、【人口20万人の南京市で30万人を殺せるはずはない】【事件期間中に南京市の人口はむしろ増えた】の様な【間違った認識】が一人歩きをしているのも事実です。
本章内で説明していますが、結論から言えば、【陥落時点(※1937年12月13日)の南京市人口は20万から25万人】で、いわゆる【南京事件の発生期間中(※1937年12月13日から1938年2月初めまで)】において、【南京市人口は減っていない】と解釈するのが正しいのです。
【陥落時点(※1937年12月13日)】 --- 南京市人口は【20万から25万人】(※『スマイス報告』他)
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『スマイス報告』
"WAR DAMAGE IN THE NANKING AREA" December, 1937 to March, 1938. URBAN AND RURAL SURVEYS By Dr. Lewis S. C. Smythe
I. 市部調査 1. 人ロ
戦前の南京市の人口はちょうど100万であったが、爆撃の繰り返しや、後に南京攻撃が近づいたり全ての中国政府機関が立ち退いたりしたために、大幅に減少した。市の陥落当時(12月12~13日)、人口は20万から25万であった。
I. CITY SURVEY 1. POPOLATION
The city of Nanking had before the war a population of just 1,000,000, which was considerably reducedby repeated bombings and latterly by approaching attack and the removal of all Chinese governmental organs. At the time the city fell (December 12-13), its population was between 200,000 and 250,000.
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145D 南京アメリカ大使館通信 - エスピー報告
ジョンソン・M・アリソン三等書記官
報告書作成 一月十五 - 二十四日
郵送 一九三八年二月二日
Ⅱ. 南京の現況 - 南京の政治および経済状況
南京には政治・経済の実体は存在していないといってもよいかと思う。事実、南京は日本軍の野営地にほかならない。市の人口、およそ一〇〇万人のうち、現在二〇 - 二五万人が残留し、そのほとんどが貧民階級の人たちである。大多数が「安全区」内の建物や臨時に設けた野営地にすし詰めとなっている。
(※『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』から引用)
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【陥落後(※1938年02月14日)】 --- 南京市人口は【25万人】(※『南京アメリカ大使館宛書簡』)
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149D <イギリス領事の南京虐殺に関する報告>
JS グレイ暗号電報
発信: 上海、海軍無線局経由
受信: 一九三八年二月三日午後八時三〇分
ワシントン国務長官宛
以下はイギリス領事の一月二十九日付の報告に記された南京の状況観察の続きである。「軍中央の統制が欠けているために、軍隊の無秩序は続いている。不法行為の多くは略奪である。『浪人』(軍隊にくっついて寄生している民間人)が市内に出現しはじめた。彼らは将来、トラブルのもとになりそうな気配を示している。二五万人の中国民間人の難民の問題は、二月四日までに解消されなければならない。彼らのほとんどは行く所もないし、生活を維持する手段をもたない。…」
(※『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』から引用)
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109B 南京アメリカ大使館宛書簡 - 二月十四日
南京における救済状況 一九三八年二月十四日 ベイツ
1. 難民の状況
日本当局による自宅帰宅者の登録の報告に基づけば、一月に二五万人であったのに対して、現在は一五万人が安全区に残っている。…
この二五万人の人口を食べさせるためには、一日につき一六〇〇袋の米が必要である。
(※『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』から引用)
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また、【非戦闘員の犠牲】については、【国際法】の観点からも検証が必要になってきます。特に、大虐殺肯定派笠原教授の様に、【虐殺=不法殺害】と解釈している以上、【国際法】を無視する事はできません。
『南京事件』 笠原十九司著(※歴史学者)
南京大虐殺事件、略称としての南京事件は、日本の陸軍ならびに海軍が、南京攻略戦と南京占領時において、中国の軍民にたいしておこなった、戦時国際法と国際人道法に反した不法残虐行為の総体をいう。
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本章内で詳しく説明しますが、【戦争】という特殊状況下においては、【非戦闘員】に対する保護は【絶対的の規則ではない】のです。加えて、条約により【戦時文民(=一般住民)】の保護が制定されたのは、第二次世界大戦終了後の事なのです。
『戦争法の基本問題』
田岡良一著(※国際法学者)
併し非戦闘員の生命尊重は決して絶対的の規則ではなく、只平和的人民を殊更に目標として之に向つて直接に武器を揮ふが如き極端に非人道的なる行為のみが禁止せられるのであつて、
敵軍隊への攻撃又は敵軍事施設の破壊に付随する傍杖としての一般人民の殺傷、又は敵都市若くは敵国を降伏せしめる為の生活必需品の供給の遮断の如き手段は許されるのである。
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『国際法綱要』
宮崎繁樹著(※国際法学者)
(4)文民保護条約
第二次大戦前には、戦時文民(一般住民)の保護に関する条約は存在せず、一九三四年東京で開催された第十四回赤十字国際会議で「戦時における文民保護条約」(東京草案)が作成されたにすぎなかった。
しかし、第二次大戦後、一九四九年戦争犠牲者保護四条約の一つとして「戦時における文民の保護に関する条約」(第四条約)が作成された。
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本章では、今一度原点に立ち返り、当時の【資料(※史料)】に基づいた本事件の【非戦闘員の犠牲者数】をまとめ、合わせて【国際法】の観点からの考察も交えて、いわゆる【南京事件の真実】に迫りたいと思います。
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